車いすランチ三昧~なんばパークス~ わたしは胃が弱くて普通の男性より食が細いのです。街で普通にある食堂の天ぷらや豚カツなどの定食や丼は量が多くて大抵残してしまいます。昔はうどんやラーメンなど麺類を食べていました。最近では女性うけする小洒落たカフェなどが増えてきました。そんな店は量もあまり多くなくわたしにとってもちょうどいいのです。 そんなわけで小洒落たカフェやレストランに少し詳しくなりました。そんなわたしの些細な知識ですが、車いすでも入りやすいカフェやレストランなどを紹介して行きたいと思います。 なんばパークスシネマは車いす席が比較的後方にあるスクリーンが多くてよく利用するシネコンです。ランチも車いすで入りやすくリーズナブルな店が多くて助かります。 七階の「#702 CAFE&DINER」 何年か前てくてくでなんばパークスの居酒屋で新年会を行いました。その店は無くなって今はお洒落なカフェになっています。 広々とした店内にはアンティーク調のテーブルと椅子が置かれ、店内を囲むような大きな窓からテラスガーデンが一望できる明るい雰囲気の店です。 週替りランチは千円で肉か魚のメインディッシュに味噌汁、サラダ、御飯が付いています、他にタコライス、ロコモコ丼、パスタも美味しいです。 六階の「トゥザハーブス」はピザとパスタの店です。窓の外はテラスガーデンの緑に囲まれて、テーブルもカウンターも車いすで楽に食べられる広さです。ピザは店内の石窯で焼いた焼きたてが食べられます 同じく六階の「炭火焼鳥権兵衛」は宮崎産地鶏のレストランです。店名とは似つかわしくないお洒落なカフェバーのようなシックな趣きの店です。唐揚げは衣はサクサク、中はジューシーで柔らかく一度食べると癖になるほどです。唐揚げランチはお得ですがわたしには量が多過ぎていつも残してしまいます。わたしには親子丼と鶏カツ丼が丁度いい量です。美味しい地鶏と濃厚でまろやかな地鶏卵の丼は何度食べても飽きないほどです。 最後は最近二階の広場にできた新しい店です。 「Table Nice」はイタリアンのカフェレストランです。店内は広くてちょっとエスニック調の明るい雰囲気です。わたしは千百円の週替りランチを選びました。一枚もののチキンは外はパリパリで肉は柔らかくあっさりした味付けです。スープは多分鰹出汁で美味しかった。ヘルパーのHさんが注文した千円のパスタランチも美味しそうでした。ランチに付いたバンはほんのり味が付いて柔らかく美味しくていくらでも食べられそうでした。パンはおかわりできるのて二人ともおかわりしました。 なんばパークスは店の入れ替えが激しいのでいつの間にか無くなっていることもあります。 まだいくつか紹介したい店もありますが、また次の機会に。書くと思います? ※情報は二〇一九年六月のものです。 #
by i-michikusa
| 2019-07-21 16:19
| 雑文
サヨナラ平成 「平成」というひとつの時代が終わります。バブルが弾け、多くの災害に見舞われ、手放しでいい時代とは言えません。そんな中、退位される天皇陛下と皇后さまは国民の象徴という役目を懸命に果たされました。とくに災害被害者に膝を折って同じ目線で接せられる姿には心を打つものがありました。実を言えばわたしは両陛下に直にお会いしたことがあるのです。 時代は平成よりまだ前の昭和の時代。その頃のわたしは少し左翼思想に興味を持っていました。共産主義による「差別のない平等な社会」。中国との国交が回復して、北朝鮮による拉致問題も一般に知られてはいませんでした。 天皇制度もむしろ廃止すべきだと思っていました。養護学校を卒業してすぐに施設に放り込まれ、鬱屈した心が社会への憎しみになったのでしょう。 そんな施設に入って二年目のとき、ひとつのニュースで施設中が大騒ぎになりました。皇太子ご夫妻が施設に視察に来られるのです。そしてわたしは当時のプログラムで受けていた作業療法のデモンストレーションのメンバーに選ばれたのです。さすがに驚きました。周りの友達からも「なんでおまえが?」と妬み半分にからかわれました。 それから施設はてんやわんやの大騒動です。あちこち掃除したり、壊れている壁や床などを直したり。わたしはべつに大したことはないとわりと平然としてしていました。 いよいよ皇太子さま視察の日が来ました。寮のとなりにある職業訓練校のグランドには何十台もの警察の車両が停まりました。部屋のカーテンは警備上閉めてはいけない。天井裏まで警察官が配備されていたそうです。それまで悠然と構えていたわたしもさすがに緊張してきました。 作業療法室にはわたしを含めて選抜された二十人ほどの寮生が訓練を行います。わたしは当時行なっていた機織りです。テレビ撮影のためカメラや照明の機材が設置されました。わたしは心臓の音が聞こえるほど状態でした。 いよいよ皇太子ご夫妻が作業療法室に入って来られます。警察官やお付き数人に囲まれてセンター長と訓練部長がご夫妻に説明しています。 ついにご夫妻がわたしのところに来られました。お二人とも体が触れんばかりの距離でわたしの機織りを真剣に見られていました。訓練部長が説明するのを真剣に聴かれて、質問もされていました。皇太子さまは穏やかな笑顔で気品のあるあるたたずまいでした。美智子さまはもう気品溢れる美しさで、オーラさえ感じさせるほどでした。お二人から声を掛けられましたが緊張でぜんぜん覚えていません。 その日からわたしの左翼思想はどこかに飛んで行きました。ご夫妻、とくに美智子さまのファンになってしまいました。やはり昔からいい加減な奴です。 天皇、皇后陛下にお会いできたのは暗い施設生活の中で数少ない素敵な思い出です。三十年間国民の象徴として懸命に公務をこなし、国民に希望を与え続けられて天皇ご夫妻の姿はわたしたちの心に刻まれました。 次の「令和」という時代を次世代に託して、余生をお二人で穏やかにお過ごしください。 #
by i-michikusa
| 2019-05-01 16:42
| 雑文
こんな夜更けに映画かよ 正直この本が映画化されるとは思いませんでした。 「こんな夜更けにバナナかよ」は二〇〇三年に渡辺一史氏が発表したノンフィクション作品です。筋ジストロフィーで全身障がいの鹿野靖明氏の自立生活を描いた作品で重度の肢体不自由障がい者の間ではわりと有名な本です。 この作品はわたしたち重度障がい者にとってはとても感銘を受けるものですが、一般の人から観ればただのわがままな障がい者じゃないか、と思われるような気がしていました。 映画はそんな心配を吹き飛ばすような大ヒットでした。この種のマイノリティが題材の邦画にしては珍しく全国一斉ロードショーで、主演が売れっ子の大泉洋を起用。脇に高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、原田美枝子などを配しています。わたしは平日に観に行ったのですが、普段の平日の映画には珍しいほど席が埋まっていました。障がい者だけではなく超高齢化社会でこのような映画に対する関心が高まったのかもしれません。 わたしはこの映画を観てある友人の生き方が重なりました。 「作業所を作りたいから手伝ってほしい」とOさんから声を掛けられたのは今から二十五年前。その時のOさんは首から下がほとんど動かせない全身障がいでした。 Oさんははっきり言って自由でわがままな人です。鹿野氏と同じようにヘルパーなボランティアに遠慮のない人です。例えば服装でも重度の障がい者はジャージに体育館シューズが一般のイメージですが、彼はジーンズを履き、靴は編み上げのバスケットシューズです。 若い女性が好きなのも鹿野氏と似ていました。「美人の奥さんがいるのに」とよく言われていました。 当時は一応ホームヘルパーの制度がありましたが利用できるのは一日数時間程度。二十四時間介護の必要なOさんはボランティアを懸命に確保していました。 Oさんに出会って、障がい者はわがままでもいいんだ。遠慮しなくてもいいんだ。と思えるようになりました。 同じ時代を駆け抜け、去って行った鹿野氏やOさんは、パラリンピックで活躍するアスリートたちよりもはるかにわたしたちにとってヒーローなのです。 この映画で印象に残ったのが「両親には自分の人生を生きてほしい」という鹿野氏の言葉です。病院や親から離れて自立生活する鹿野氏の両親への思いがこもっていると思いました。 未だ日本は高齢者や障がい者の介護を家族がやるのが当たり前のように思われています。それが美談として取り上げられます。 家族の介護のために何十年もの人生を犠牲にすること。親や自分の老後のために子供を作る、嫁を貰う。こういった考え方が今も根強く残る世の中は数十年前とあまり変わっていないように思います。 「みんな、もっと自由に、わがままに生きていいんだよ」鹿野氏やOさん、先達の声が聞こえてくるような気がします。 #
by i-michikusa
| 2019-03-17 15:05
| 雑文
万博ふたたび また祭がやって来ます。半世紀振りに。世界中の科学や文化を一堂に集めた夢の祭「万国博覧会」がやって来ます。 その日開催地が決まるとはまったく知りませんでした。一一月二三日の昼ニュースを観ていると、「明日未明万博の開催地決定」というニュースが流れてきました。「えっ?」と驚いてしまいました。開催地の候補地に住んでいるわたしさえまったく知らなかった。テレビや人との会話にもその話題は皆無でした。 もちろん大阪が候補地に立候補したことは知っていました。費用、経済効果、環境やIRの問題などマスコミに取り上げられていました。府民も開催には賛否両論でした。わたしはただ単純に生きているうちにもう一度あの万博が観られるのかもしれないと喜びを覚えました。 その夜いつものようにベッドで寝ながらアイパッドをいじって横でテレビをつけていました。突然テレビでニュース速報のテロップが流れました。大阪が投票で一位です。二位と規定以上の差がないので二位と決戦投票。一位なので多分大丈夫と思いましたがやはり一抹の不安がありました。 アイパッドをいじっていても結果が気になります。そして数十分後テレビに速報が流れました。「大阪の万博開催が決定」思わずガッツポーズをしてしまいました。 七〇年の大阪万博は当時の我が家とわりと関わりがありました。父が土木関係の会社に勤務していて、万博開催地の吹田市の千里丘陵の造成の仕事をしていたのです。父は営業でしたが小さな会社なので現場も携わっていました。そのため当時は帰宅はしょっちゅう深夜でした。たまに早く帰宅したとき、晩酌をしながら「あの竹藪ばかりの山がえらいことになってぞ」と嬉しそうな顔で話していました。 万博には二回行きました。一度は学校から校外学習で。もう一度は夏休みに家族と。 ファーストコンタクトはまだ中学生だったわたしには衝撃でした。SF映画や漫画などに描かれている未来都市そのままなのです。 最初の学校からのときは時間に限りがあったので大きなパビリオンは日本館と太陽の塔ぐらいで、後はあまり混んでいない小さなパビリオンを観て廻るぐらいでした。 二度目は三菱未来館、みどり館、松下館、住友童話館などいくつかの大きなパビリオンを楽しめました。 内容は巨大なスクリーンの映像は微かに覚えている程度で、後はあまり記憶に残っていません。何しろ五十年も前のことなのですから。 当時日本は高度経済成長期の真っただ中です。日本の国立を世界中に見せつけるのが開催の目的の大半でした。 現在は東京ディズニーランドやUSJなど近代的で大規模なテーマパークが造られて、パソコンやスマホなどのハイテク機器が世界中に浸透している時代です。当時のような箱物だけの博覧会では盛り上がらないでしょう。 人口問題、環境問題、資源の枯渇、温暖化対策など人類の抱える問題にいかに結びつけるか。交通やインフラをどういう風に効率よく整備するか。それらに世界中の視線が注がれています。七〇年万博とは違う形の未来を見せてほしいものです。 あと七年先、わたしもかなり高齢になりますが、体が元気ならぜひ二度目の大阪万博を体験してみたいと思います。 #
by i-michikusa
| 2019-01-23 13:51
| 雑文
「終活」を考えてみる 本格的な秋を迎える季節、内科でインフルエンザの予防接種を受ける時期になりました。この時期を逃すとワクチンが無くなり予防接種が受けられないこともあります。 予防接種前に問診票の記入です。毎年ほとんど問題はありません。氏名、生年月日を記入して、最後に年齢を記入。「年齢?」や、やばい、自分の年齢が判らない。 普段書類やネットなどで生年月日はよく記入することがありますが、年齢はほとんど記入することがありません。「認知症の兆候か?」焦った頭のなかで現在の西暦から生年月日の西暦を引いて計算しました。なんとか自分の年齢を思い出せました。 改めて自分の年齢を認識してみて、「もう、こんな歳になったのか」と切実な現実を実感しました。笑い話にもなりませんね。 母が旅立ってからかれこれ二十年経ちました。 六十代で脳梗塞になり認知症と全身障害で寝たきりになりました。日に日に衰えてゆく母の姿を見るのが辛くてたまりませんでした。 その日は突然やって来ました。弟からの電話で母が入院していた病院に向かいました。母の顔を見て、悲しみよりようやく母は楽になれたという安堵感に似た心境でした。 通夜と告別式の準備は父と弟がするということでした。通夜は民間のホールで行うことになりました。慣れないスーツを着て式場に着くと母はすでに祭壇の中でした。なぜかわたしの中に違和感が。幼い頃の祖母や叔父の通夜の記憶とは微妙に違う気がしました。やがて僧侶が来られたときやはりおかしいと確信しました。雰囲気が明らかに派手なのです。たまりかねて弟に何の宗派か訊いたところ「浄土真宗」とのこと。「あちゃー!やってしもた」と心の中で叫びました。生前母からうちの宗派は真言宗だと聞かされていたからです。父も弟も家のことは母に任せきりだったので段取りが判らず適当にやったようです。今更変更できるわけもなく、このまま浄土真宗で告別式も終えました。 それから母の後を追うように父も旅立ちました。その後いろいろあって両親の遺骨はわたしたち夫婦が引き受けることになりました。 それまで宗教などほとんど無関心だったので一から勉強です。ひと口に仏教と言っても宗派によってぜんぜん違うのです。 同じ浄土真宗でもいろんな派閥があることを知りました。その中で二大派閥が本願寺派と大谷派。うちは本願寺派です。西本願寺が中心なので「おにしさん」とも言われます。親鸞上人の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の教えを礎とし、善人でも悪人でも平等に死ねば極楽浄土に召されるらしいのです。なので死は忌むべきものではなく、むしろ喜ばしいものとされています。「草葉の陰」や「冥福を祈る」などの言葉は使いません。 盆に魂が帰るということもないので、度々仏壇にお経を上げてもらわなくても、三回忌、七回忌など法要ぐらいで構わないらしいのです。わたしとしてはかえって浄土真宗になったことで楽になったと言えます。 今「終活」がよく話題にされますが。我家のように親に何も教えられず突然死なれると、残された家族は途方に暮れることもあります。何らかの形で自分の死後の希望を残しておくことは大切だと思います。 わたしも終活を本格的に考えなくてはならない歳になりました。 わたしは葬式はいらないと妻に頼んでいます。だれにも知らずに簡単な直葬で充分です。わざわざみなさんに来ていただくのも大変だし、死ねば何も判りませんから。 酒の席の話で「あんな奴がおったな」と少しでも思い出していただければそれで充分です。 #
by i-michikusa
| 2018-11-21 16:29
| 雑文
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放蕩おやじ“さわきライム”のブログです
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