万博ふたたび 万博ふたたび また祭がやって来ます。半世紀振りに。世界中の科学や文化を一堂に集めた夢の祭「万国博覧会」がやって来ます。 その日開催地が決まるとはまったく知りませんでした。一一月二三日の昼ニュースを観ていると、「明日未明万博の開催地決定」というニュースが流れてきました。「えっ?」と驚いてしまいました。開催地の候補地に住んでいるわたしさえまったく知らなかった。テレビや人との会話にもその話題は皆無でした。 もちろん大阪が候補地に立候補したことは知っていました。費用、経済効果、環境やIRの問題などマスコミに取り上げられていました。府民も開催には賛否両論でした。わたしはただ単純に生きているうちにもう一度あの万博が観られるのかもしれないと喜びを覚えました。 その夜いつものようにベッドで寝ながらアイパッドをいじって横でテレビをつけていました。突然テレビでニュース速報のテロップが流れました。大阪が投票で一位です。二位と規定以上の差がないので二位と決戦投票。一位なので多分大丈夫と思いましたがやはり一抹の不安がありました。 アイパッドをいじっていても結果が気になります。そして数十分後テレビに速報が流れました。「大阪の万博開催が決定」思わずガッツポーズをしてしまいました。 七〇年の大阪万博は当時の我が家とわりと関わりがありました。父が土木関係の会社に勤務していて、万博開催地の吹田市の千里丘陵の造成の仕事をしていたのです。父は営業でしたが小さな会社なので現場も携わっていました。そのため当時は帰宅はしょっちゅう深夜でした。たまに早く帰宅したとき、晩酌をしながら「あの竹藪ばかりの山がえらいことになってぞ」と嬉しそうな顔で話していました。 万博には二回行きました。一度は学校から校外学習で。もう一度は夏休みに家族と。 ファーストコンタクトはまだ中学生だったわたしには衝撃でした。SF映画や漫画などに描かれている未来都市そのままなのです。 最初の学校からのときは時間に限りがあったので大きなパビリオンは日本館と太陽の塔ぐらいで、後はあまり混んでいない小さなパビリオンを観て廻るぐらいでした。 二度目は三菱未来館、みどり館、松下館、住友童話館などいくつかの大きなパビリオンを楽しめました。 内容は巨大なスクリーンの映像は微かに覚えている程度で、後はあまり記憶に残っていません。何しろ五十年も前のことなのですから。 当時日本は高度経済成長期の真っただ中です。日本の国立を世界中に見せつけるのが開催の目的の大半でした。 現在は東京ディズニーランドやUSJなど近代的で大規模なテーマパークが造られて、パソコンやスマホなどのハイテク機器が世界中に浸透している時代です。当時のような箱物だけの博覧会では盛り上がらないでしょう。 人口問題、環境問題、資源の枯渇、温暖化対策など人類の抱える問題にいかに結びつけるか。交通やインフラをどういう風に効率よく整備するか。それらに世界中の視線が注がれています。七〇年万博とは違う形の未来を見せてほしいものです。 あと七年先、わたしもかなり高齢になりますが、体が元気ならぜひ二度目の大阪万博を体験してみたいと思います。
by i-michikusa
| 2019-01-23 13:51
| 雑文
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